満願寺からふじガ丘に入る橋の手前に【看板】が立っている。
民家が見えなくなってしばらく行くと砂利道になり、左の山中に入っていくと山本に出る近道が分岐している。 正面の階段を下っていくと【大日十天不動明王】に至り、右に
【不動橋】を渡って上っていくとすぐに【井植山荘】である。
・看板:不動明王、井植山荘、最明寺滝、宝教寺があって、平井山荘から山本駅に出る。
・大日十天不動明王1:美しい最明寺川沿いの緩やかな石段は、ステンレスの手摺で安全に往き来できる。
・大日十天不動明王2:行き止まりの巨大な岩の上に祠がある。
・大日十天不動明王3:背後には小さいが天照大神も祀られている。
・不動橋1:ここから先、一般車両の進入はできない。
・不動橋2:橋を渡って井植山荘側から見た不動橋。
・井植山荘1:ロータリーのようになっており、正面の建家は倉庫として使っているらしい。
・井植山荘2:左に下りると門がありその中には非公開の◆山荘と庭園◆が・・・
・井植山荘3:右には、お地蔵さんがあって最明寺滝から山本に至る不動明王参道が続く。
【井植山荘】は大阪の大冨豪藤田伝三郎男爵が贅を尽した別邸で13万坪余あり。
【庭園(非公開)】は大正時代の名造園家梅叟の作とのこと。
(【梅叟の讃碑】もある)
:梅叟の讃碑:山荘から平井に向かい、中山縦走路に入る分岐を少し過ぎたあたりに建っている。
山上には「多宝塔」があったが
2002年3月19、20日の山林火災で【焼失】した。
これは奈良高円山の白毫寺(天智天皇の皇子施基親王の別荘)から移建したもので、この国宝級多宝塔の「写真や資料はここ」に集められている。
宝塚市議会でも、文化財指定、保存、公開に関して度々議論されていたが実現せぬまま焼失し大変残念である。
「(1998年12月大庭議員質問抜粋」、「2001年12月北山議員質問抜粋」)
・焼失1:鎮火直後の無惨な焼跡・補修作業用足場が焼け残っている。
・焼失2:4か月後・・・ここに、あの優美な塔は阪神淡路大震災にも耐えて建っていた。
不動明王参道をさらに下っていくと【辰巳橋】に出る。 ここが実は平井側の【入り口】なのである。
西明寺(後に最明寺)は鎌倉幕府5代執権北条時頼が出家し、西明寺入道と名乗り庵を設けたことによる地名であり、
【最明寺滝】周辺は今も美しく手入れされている。
・辰巳橋1:橋を渡らず左に下ると最明寺滝、橋を渡って平井側に下ると宝教寺。
・辰巳橋2:平井側から見ると左が不動明王参道、右が最明寺滝。
・辰巳橋3:倒れた“山火事注意”の看板がむなしい。
・入り口:平井側から見て辰巳橋を渡って左に行くと不動明王(井植山荘)、右に行くと最明寺滝。
・最明寺滝1:最近も工事が行われ、毎日清掃されている。
・最明寺滝2:コメントなし。
・最明寺滝3:コメントなし。
橋を渡っても美しい参道は続き、左右に【地藏】が見られる。 やがて【宝教寺】を経て阪急山本駅に至る。
・地蔵1:鬱蒼とした参道の左右に地蔵がひっそりと祀られている。
・地蔵2:コメントなし。
・宝教寺:橋の向こうに宝教寺が見える。
戦後、三洋電機(株)創業者の井植歳男氏がこれを入手されて以来、井植山荘と云う。(【庭園(非公開)】)
2002年Kisida氏作成:2010/12/31受贈:2010/12/31更新:ホームページ、日本の塔婆
|